ついに息子が幼稚園でお昼を食べきったと聞いて喜んでいたら、月に1回の妻が作るお弁当日で、妻は「お弁当なら食べて当たり前だよ」と言っていたが、初めての完食が妻の手作り弁当なのは、なんかほっこりするな。と嬉しく思うむくもみです。
どちらも褒めてやりたい〜
今回は大人になると急にできなくなることってあるよね。それってできた方がいいことが分かっているのにできないのもったいないよね。というテーマでお話させていただければと思います。
それではいきましょう!
こどもの頃に言われてきたこと
おそらくこれを読む誰しもがこどもの頃を経験していてその時に、
当たり前のことをしっかりやらないといけないよ〜
と言われ続けてきたんだと思います。
それって例えば、
・挨拶をしなさい
・靴を揃えなさい
・話をするときは人の目を見なさい
・使ったものは片付けなさい
・人に優しくしなさい
・モノは大切に扱いなさい
・正しい言葉使いをしなさい
などなど、、、
思い返してみれば本当に星の数ほど当たり前とされてきた項目ってあると思います。
しかも驚くくらい何度も言われてきたのではないでしょうか。
これって人としてそもそも大切にされてきていることで先天的にこれらをできるようにすることが良いことだってことは感覚としてわかっていることでもあるんですよね。
この当たり前ってどれくらいの大人ができているんだろう❓
という疑問が湧いてきますよね。
というか自分に置き換えて考えてみて、一部ではありますがこれらの事ってできている。と胸を張っていうことができます?
周りの大人がこども達に対してお手本になれるような振る舞いをすることができているって言えますか?
多くの大人はちょっと難しいって言うんじゃないかと思います。
僕も気をつけてはいてもちょっと自信ないです。
僕も修行中だよ〜
ほんと、当たり前って難しいんです。というか難しい要因は“当たり前を続けること“ですよね。
できている時もあるでしょ
難しいのは、当たり前をすることじゃなくて、それを継続することですね。
時には靴を揃えているし、正しい言葉使いができている時もある。
それってちょっと目上の人に会いにいく時とか、かしこまるタイミングで気をつけているんだと思います。
つまり気をつければみんなできるんです。
辿々しいとしてもちゃんとする事って誰にでもできるんです。
ここが重要です。
みんなちゃんとできるんです。
ちゃんとする“ことには度合いがあっていつもちゃんとしていて身についている人の振る舞いとその場凌ぎな振る舞いにはわかる人からすると明確な違いがあるので、やっぱりいつもちゃんとしていた方がいいのは間違いありません。
“じゃあなんで大人は当たり前を継続できないのか?
もうお分かりですよね。
めんどくさいんです。
大人はやらない理由を見つけるのがウマスギルンデス。 シゴトガ、、、とか カゾクガ、、、とか ジカンガ、、、とか
なんとか言ってやらない理由をたくさん上げることできてしまうんです。
この言い訳の才能のせいでできないんです。
やればできるのに。
すぐに自分にも言い訳しちゃうしね。
親とこども。大人とこども。
じゃあ、そんな大人の中で生活するこどもたちはどうなるでしょう?
もちろん同じようにできないし、やらない言い訳を探すようになる。
これこそ当たり前ですよね。
だってお手本がやらないんだもん。
やるわけないじゃん。
当たり前のことを当たり前にやるのが当たり前やないか‼️
と当たり前を何度連呼したってこどもからすれば、耳から入ってくる当たり前より、目から入ってくる当たり前の方が真実に感じられて当然じゃないですか。
大人だって、10年後の100万円より、いま手元にある1万円の方が信じられるし真実でしょ?
同じことをこどもに対してやってしまっているんです。
見せてしまっているんです。
でもやらなければならないことだし、感覚的には正しいと思っていることだから口には出す。
こどもにはやれという。
どうでしょう。
自分の親からも同じように言われて今の自分を見てみた時にできていると胸を張れるのであれば同じやり方を自分のこどもにしてあげればいいんだと思います。
でも多くの大人ができていないという現状を鑑みるとどこかで誰かがやり方を変えなきゃいけないんですよね。
そして“誰かが“ということさえも大人全員が感覚で理解しているんですよね。
じゃあ僕からやりましょうって話です。
だからみんなもやってみませんか?という話です。
この世の中に完璧な人間などいないのですから。
つまり1人として完璧な親などいないのですから。
目指すくらいはいいでしょ。
ということで、冒頭で書いた項目については日々修行中です。
継続して親がやっている姿を見せ続けることが目的なのでゴールはないのですが、毎日気をつけるようにしています。
さて、こどもに見せる姿だけでなくて大人が当たり前をちゃんとできるようになるとどんな効用があるのか?についても考えてみましょう。
当たり前ができる大人
自分の周りのちゃんとしているなぁと思える人ってパッと思い浮かぶと思うんですよ。(テレビに出ている人とかでもいい)その人って多分、仕事ができるな。
みたいなイメージがセットになっていると思いませんか?
多分ここってかけ離れてはいないと思います。
これを因数分解して考えてみましょう。 ・仕事ができるから当たり前をちゃんとできるようになる ・当たり前をちゃんとできるから仕事ができるようになった
これってどう考えても後者で先に当たり前ができているという大前提があって仕事ができるようになるんです。
なぜか?
自分が仕事をお願いする立場(お客さんでもいい)だとして、挨拶が明るくできる人と挨拶をしない人とどちらに仕事を頼みますか?
はっきりと返事をしてくれる人と返事をしない人のどちらと一緒に仕事がしたいですか?
整理整頓ができている人と机の上が散らかっている人のどちらに大事なプロジェクトを任せますか?
こんなの全部ひっくるめてちゃんとしている人に仕事が回るに決まっていますよね。
当然です。
ちゃんとしている人が仕事を引き受けて、結果を出して、信頼を貯めて、より大きな仕事が回ってきて、立場を高めていく。
このスパイラルって普通ですよね。
じゃあなんで大人は当たり前をやろうとしないのか?
メンドクサイからですね。
ただ、それだけの理由でチャンスを逃し、自分の人生を諦めていく。
これくらいで良いかー。の繰り返しに満足するはずもなく、理想の自分といまの自分とのギャップに苦しんでいく。
自己啓発系の書籍を読んだり、大経営者の人の話を聞いてみても「ちゃんとしろ。」「当たり前のことに手を抜くな。」「素直に聞け。」とか、なんでこんなに初歩的なことを書いたり言ったりしているのか?と思うこともあるかもしれませんが、それだけ当たり前のことこそが重要で、できていない人が多いんだと思います。
もっと言えば当たり前さえできていれば、いや、気をつけるだけで周りの大人よりも抜きん出た人間になるチャンスは大いにあって、自分にも自分の周りの人間にも大きな喜びを与えられるようになるんです。
つまりは幸せになる可能性が高まるし、日々積み上げていく自分にも満足できるようになるんです。
難しいのは、“継続“ただそれだけです。
まとめ
今までそうだったからとか、これで食べてきたのだからとか、今のままで家族を養ってきたとか、今さらもう遅いだとか。
そんなのは全てやらない言い訳でしかなくて、やらない理由にはならない。
もっと言えば僕の好きな言葉に「今日が人生で1番若い」という言葉があるように死ぬまでの人生の中で今日こそが最善の日で、誰になんと言われようと正しいことをしようとすることに遅いなんてタイミングはないんです。
今日から変わろうとすることはできる。
そしてそれは他人には変えられない。
自分で変えるしかないんです。
これはもう絶対。
僕は日々、継続して自分自信を高めていきますし、こども達にもその姿を見せ続けられるように修行を続けます。
実際、こども達は誰に会っても挨拶をしすぎるくらいにするようになりました。
挨拶をして返ってこないと。あの人あいさつできない。って聞こえるように言っちゃうのは、これから直していけばいいよ〜
今日からみなさんも一緒にやりましょう。
いろんなことが好転すると思うし、日本の経済の衰退だって歯止めがかけられるかもしれないと本気で思います。
それじゃいってらっしゃい‼️今日も素敵な1日を‼️🤗
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