嫌われる勇気:生徒のために

思考法・考え方

 



やらなければならない事よりも、今、キチンと話を聞いてやることが大切なんだと自戒するむくもみです。

むくもみ
むくもみ

こどもに向き合ってやらねば

今回は、指導者には嫌われる覚悟も必要。というテーマでお話ししたいと思います。

〜本題に入る前にお知らせをさせてください〜

むくもみblogは【毎週(火)(金)7:00更新】です‼️
ブックマークしてお待ちください^ ^

➡︎Twitter

➡︎Instagram

➡︎Youtube

➡︎stand FM

➡︎TikTok

➡︎note


それじゃいきましょう!

【広告】



▼はじめに

教育者や指導者にとって、生徒や部下からの好意や支持は大切なものです。

しかし、時には生徒のために厳しい言葉をかけることが必要な場面もあります。

嫌われる勇気を持つことは、生徒の成長と未来のために欠かせない要素です。

▼1. 好かれたい気持ちとの葛藤

教育者や指導者であっても、嫌われたくないという気持ちはあります。

生徒や部下から好意を得ることは、自己肯定感や満足感につながります。

人である以上、好かれたいと思う気持ちを持つことは当然です。

逆に言えば、嫌われたくないと思うことが当然なのでしょう。

誰かに嫌われたくない。

できれば自分のことを好いてくれる人に囲まれて過ごしたい。

これは普通の思いです。

しかし、この思いは自分のためのものである事に気が付きましょう。

もし誰かを指導する立場になるのだとしたら、この気持ちを少し俯瞰してみる必要があります。

▼2. 厳しい言葉の必要性

しかし、時には厳しい言葉や指導が必要です。

生徒が成長し、自己を向上させるためには、ときには現実を直視し、厳しい現実を伝えることが重要です。

嫌われたくない。という気持ちが邪魔をして、生徒を甘やかしてしまってはどうでしょう。

その生徒の成長のためにはここで厳しいことを伝えてやらなければならないと気がついたとしたらどうでしょう。

【自分の思い】か、【生徒の成長】かどちらかを天秤にかけなければならないと気がつけるでしょうか。

自分が嫌われたくないから。。という気持ちを優先してしまったなら、生徒の成長を見捨てることに繋がります。

さて、それで本当に指導者と言えるのでしょうか。

▼3. 生徒のために

教育者や指導者の役割は、生徒や部下の未来を見据えたものです。

そのため、自分のことよりも生徒の成長や発展を優先することが求められます。

生徒はここで厳しくも大切なことを教えてもらえなかった場合、その重要なことを知らないまま、自分の手を離れて社会に出ていってしまいます。

大切なことを教えてもらえないまま、社会に放り出された生徒は果たして幸せに生きていけるのでしょうか。

ここでしっかりと伝えてやることが、目の前にいる生徒の未来を明るくしてあげられるのではないでしょうか。

▼4. 叱ることの意義

生徒を叱ることは、彼らの行動や態度を改善する機会でもあります。

適切なフィードバックを提供し、彼らが自己成長するための手助けをすることが重要です。

叱ることで嫌われるかもしれません。

しかし、先ほども述べたように叱らないことで、生徒が成長する機会が無いまま、社会に出ていってしまうよりも、例え嫌われてしまったとしても、生徒が強く逞しく社会で生きていけることの方が重要です。

そのために指導者は、指導を任せれているのです。

役割と自分の感情は切り分けて考えなければなりません。

▼5. 嫌われる勇気の重要性

教育者や指導者にとって、嫌われる勇気を持つことは決して容易なことではありません。

しかし、生徒のためには、彼らの成長を促すための必要不可欠な一歩です。

指導者としての覚悟を持ち、生徒のための存在であり続ける。

そうでなければ、指導する立場に身を置くことは難しいでしょう。

▼まとめ

教育者や指導者が嫌われる勇気を持つことは、生徒や部下のために欠かせない要素です。

自分の気持ちやプライドを抑え、生徒の成長と未来を優先することが、真のリーダーシップの証です。

生徒のために、嫌われる勇気を持ち続けましょう。

むくもみ
むくもみ

それじゃいってらっしゃい‼️
今日も素敵な1日を‼️🤗

コメント

タイトルとURLをコピーしました