年末年始に堕落し切った精神をなんとかオンにしなければ!ともがいているむくもみです。
楽しかったなぁ
今回は親だって人。というテーマでお話ししていきたいと思います。
〜本題に入る前にお知らせをさせてください〜
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それじゃいきましょう!
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▼はじめに
親、大人、こども。これらの境界線は曖昧で、時には混ざり合いながらも、それぞれが成長し続ける旅路にあります。
この記事では、大人であることの基準や、親子関係、そして社会人としての大人になる過程について考えます。
▼1. 親だからといって大人ではない
親になることは大きな変化ですが、経済的な自立だけが大人ではないことを意味しません。
親もまた、感情や成長において学び続ける存在です。
こどもから見れば親は大人に見えるかもしれません。
時間が経ち自分が親の立場になったことで大人になれたと思っている人もいるかもしれません。
しかしそう見えるだけであって、本当の意味で大人になれたのかどうかは疑問です。
靴が揃えられない人を大人と呼ぶでしょうか。
時間が守れない人を大人と呼ぶでしょうか。
アルバイトに横柄な態度をとる人を大人と呼ぶでしょうか。
▼2. 大人の最低限は経済的自立
大人になる最低限の条件は経済的な自立です。
しかし、これは成熟した精神や感情面においても同じくらい重要です。
「経済的に自分の親から自立すること」には多くの意味が含まれます。
お金を稼ぐためには最低限の仕事をしなければなりません。
仕事とは誰かに必要とされることです。
問題を解決し、金銭的対価を得ることです。
誰かに必要とされる自分にならなければなりません。
生活面においても同様です。
自分の身の回りのことが全て自分である程度できないことには生活していけません。
生活基盤がしっかりしていない人を他人は必要としてくれません。
経済的に自立するためにはそれなりの自分になる必要があるということです。
▼3. 精神的にこどもなままの親も多い
親=大人ではないことは親になってみると良くわかります。
親=大人の振舞いを強要される。だからそれっぽく行動する。
だいたいそんなものです。
前述したように当たり前のことができない親もたくさんいるのです。
むしろ当たり前を知らない親もいるくらいです。
これは世の中を批判している訳ではありません。
「そういう人もいる。だから自分だけはキチンとしなければ。」という自戒です。
▼4. 社会人が大人でもない
社会人であることが大人であることを保証するわけではありません。
多くの社会人が、成長や学びを怠り、こどものように固定されていることも事実です。
学校を卒業した瞬間に世間からは社会人という見られ方をします。
そして社会人には大人というイメージがついてまわります。
しかし実際はどうでしょう。
中身が突然に変わることもありません。
大人という表現が曖昧なのは仕方がありませんが、社会人になったとて大人であることと同様ではないのです。
学校を卒業したから急に世間から必要とされる自分になれる訳でもありません。
▼5. 社会人が勉強して大人になっていく
真の大人になるためには、勉強と成長が欠かせません。
新しいことを学び、変化に対応することで、社会人もまた大人への一歩を進めるのです。
社会人こそたくさんの勉強をしなければならないのです。
それは知識を増やすこともそうですし、経験を積むこともそうです。
そして1番勉強しなければならないテーマは「人について」です。
他人との関係無しに社会はあり得ません。
社会とは他人とのつながりの中に生まれるものです。
そして勉強をすればするほど、自分が何も知らないのかを思い知ります。
僕が現時点で思うに、「自分が世界のことをわかっていない」と気がつくことで初めて大人の仲間入りができるのではないかと考えています。
▼まとめ
親、大人、こども。これらの枠組みは流動的であり、一度大人になったからといって、成長や学びが終わることはありません。
経済的な自立だけでなく、精神的な成熟も大切にし、絶え間ない成長の旅を楽しんでいくことが重要です。
親であり大人でありこどもである。
それでも前に進みながらより大人を目指すことはできる。
人生全部をかけて少しづつ自分を大人にしていくことはきっと楽しいものですよ。
それじゃいってらっしゃい‼️
今日も素敵な1日を‼️🤗
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