初!ブログ記事を書いているよ!
幼稚園に行くようになって、少しづつ成長してきた息子は機嫌が悪いフリをした時に周りから優しくされてしまい、機嫌が直ったのにフリを辞めるにはどうすればいいのかがわからなくなって迷子になっている様子が見ていてとても面白いな。と思っているむくもみです。
ニヤケとるやないか!
今回のテーマは答えを持つことと正解は似ているようで違うよ。ということについて話しておこうと思います。学校教育の中で学べることとそれ以外で学ぶべきことを分けてかんがえるキッカケになるかもしれません。
それではいきましょう!
正解の決まっているもの
君たちが学校に入って「勉強」という言葉のもと国語や算数を学ぶことはとってもいいことです。新しい漢字を覚えたり、難しい計算方法を学ぶことで世界にの色々なことをも学ぶ土台ができるからです。
例えば、ひらがなが読めるようになれば、絵本が読めるようになります。漢字が読めるようになれば物語が読めるようになります。中学生までの漢字が読めるようになれば新聞は全て読めるようになります。英語が読めるようになれば世界の文学に触れられるようになります。
算数も同じで、足し算や引き算ができるようになると買い物ができるようになります。掛け算ができるようになると物の数を数えることが早くできるようになります。割り算ができると人に何かを分けて与えられるようになります。
社会とか理科も同様に学べば学ぶほどたくさんのことを「勉強」できるようになります。
ここで少し不思議に思うかもしれませんね。
「勉強」することで「勉強」できるようになるの?といった感じだろうか。
もしかしたら君がこれを読んでいる時には、「勉強なんて嫌い。つまらない。」と思っているかもしれないね。僕も学校に行っている時にはそう思っていました。
でも大人になってからは考え方が少し変わって、「勉強」は楽しいからするものなんだと思い直しました。
「勉強」というのは「知りたいことを知ることと、その過程を経験すること」なのでは無いかなぁと最近では思うようになりました。まさに「勉強」中です。
例:クジラの長さ
例えば、「クジラの長さってどれくらいなんだろう?」と疑問を持ったとします。その長さについて調べてみると、
マッコウクジラ 16mザトウクジラ 15mシロナガスクジラ 26m
と出てくる。すると次に「クジラってひと言で言っても何種類くらいいるものなの?」と疑問が湧いてくる。調べてみると、なんと現時点で84種類いるらしい。ということがわかる。
「じゃあ実際にはクジラってどれくらいの大きさなんだろう?」と疑問を持つ。調べてみると、シロナガスクジラの26mというのは約9階建ての建物と同じくらいだそうです。
そこで外に出て9階建ての建物を実際に見てみるととっても大きいことに気がつく。
「これを実際に見て見るにはどうすればいいんだろう?」と考える。「水族館にクジラはいるだろうか?」「船に乗って見にいくことはできるのか?」「そもそも日本にいて見られるのか?」「家から出発してクジラを見るまでにどれくらいの時間と費用がかかるだろうか?」
勉強とは
今回はクジラを一つ取って考えてみたけれどもこうやって疑問に思うこと、知りたいと思うことを調べていくことこそが「勉強」なんだと思っています。つまりは「問題(疑問)」を自分で見つけ出すことが「勉強」の始まりなんだと思います。だからそもそも「勉強」は楽しいんです。そして面白いんです。
「勉強」は楽しいからするものなんです。
でも学校の「勉強」というのはつまらない。と感じてしまうことが多いかもしれませんね。
それは先にも述べた事から考えると「問題(疑問)」が与えられてしまっているからなんだと思います。自分で「問題」を見つけたのではなく、この「問題」について考えろ。という風に自分の中の「疑問(なんで?)」がすっぽりと抜け落ちてしまっているからなんだと思います。
つまり好奇心や興味がないことは楽しく無いんですよね。
とは言っても算数やなんかで問題を解くのはとっても好きだったよ
正解が決まっていることにたどり着く事を学校では「勉強」と言います。でも「勉強」という言葉にはもっとたくさんの意味があると思っています。
クジラの件を例に考えてみましょう。「クジラの長さってどれくらいか?」という疑問には正解があったと思います。「クジラの種類ってどれくらい?」にも正解がありました。
では、「クジラを見るにはどうすれば?」には正解はありません。でも「答え」はいくつか見つかったのではないでしょうか。
水族館に行ってみる。船に乗ってみる。
どちらも正解です。決して間違いではない。答えはあって、あとはどちらを選択するのかという話です。
大切なのは、この違いです。「正解」があることを「答え」だと思わないでほしいということです。
これが今回の話の1番大切な部分になります。
正解のないこと
実は学校で学ぶことのできないことに、
・「正解」ではなく「最適解」を探すこと・選んだ「答え」を「正解」にすること
の二つがあるなぁと思っています。
順番に解説していきましょう。
一つ目の「正解」ではなく「最適解」を探すことについてはクジラの件で考えてみると、水族館に行くのか、船に乗ってクジラを見にいくのか。についてはどちらもそもそも間違っていないし、何なら正解だと思います。
ではどちらが最適解なのか?というと、それは目的によって変わるのかな?と思っています。
とりあえずクジラを見てみたい。ということであれば水族館に行くことが最適解です。世界最大のシロナガスクジラをみたいということであれば、船に乗る必要があると思います。
その時の君にや周りの人にとって1番良いことを正解にすることを最適解を探すことなんだと思います。
これってとっても大切な考え方です。
友達のAくんはあっちで遊びたい!
友達のBくんはそっちで遊びたい!
こんな事って日常茶飯事じゃないですか。これどんな答えを出しますか?
AくんにとってもBくんにとっても良い結果になるようにするにはあっちかそっちを選ぶだけでは上手くいかない気がするでしょ?ここで「正解」ではなく「最適解」を探す。を使うんだよ。
すると、「今日はあっちで遊んで、明日はそっちで遊ぼう」みたいな最適解があるかもしれないよね。
もしくは「あっちで遊ぶことにして、どっちもめちゃくちゃに楽しませてあげる」という答えがあってもいいかもしれないよね。
ちなみに二つ目の答えが、“選んだ「答え」を「正解」にする”という考え方です。
強引に思うかもしれないけれど、世の中にはそういう事を選択して成功している人がたくさんいるんだよ。「君の選んだ答えは間違っている!」と後ろ指を刺されて、それでも“選んだ「答え」を「正解」にする”ということに全力を尽くした結果が世界を良くしたという歴史はたくさんあるのです。
まとめ
結局なにが言いたいかと言うと、「正解」が決められていることよりもそうでないことの方が世の中にはたくさんあるよ。ということと、それについてたくさん考えることが大切なんだということです。
誰かとケンカしてしまって、次の日に会うことが気まずくなった時にどうすれば仲直りできるのかに「正解」はないけど、君が導き出す「答え」は必ずある。それを実行に移してみた時にうまくいくのか、いかないのか。それすらも勉強で、うまくいかなかった時には別の「答え」を探せばいい。そうやって間違いを知ることも「勉強」なんだ。
生きていくことは「勉強」の連続で、それ自体がとっても面白いことなんです。
君たちがこれから先も楽しく暮らせることを祈っています。
それじゃいってらっしゃい!
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