息子を厳しく叱った後にその態度の崩し方が分からず、結局のところただの八つ当たりみたいになっていないかと不安になり、夜寝静まった時に寝顔を見るとやっぱり厳しくしすぎたかな。と後悔するんですが、次の日には吸収して一つ成長している息子を見て親でいることは悩み続けることでこどもの成長という喜びの瞬間に立ち会えるんだな。と毎日を幸せに過ごしているむくもみです。
親といえど1人の人間やねんな〜
今回のは少しブラックで平等を目指すことは必ずしも全体善では無い。とテーマだけで叩かれるんじゃないかとヒヤヒヤしていますがそれでもお話ししていきます。
それではいきましょう!
みんなで分かち合う
ここに一つケーキがあって、それを家族みんなで分ける。
それが4人家族なら4等分にするでしょう。
これってとっても素晴らしいしこれが当たり前だと思える日本という国は本当に素晴らしいんだと思います。
このみんなで喜びを分かち合おうという精神性は大昔から脈々と受け継がれて今の僕たちにも感覚としてあります。
だからケーキが目の前にあればみんなで分けようという話になるんだと思います。
では実際に目の前にケーキがあった場合、心の中では
ちょっと大きく切られているケーキが回ってこないかな。。
とかイチゴが一つ多いケーキが回ってこないかな。。
と頭に浮かぶのって普通だと思うんです。
これって本当に普通のことですよね。
でもこれを1人1人が主張しだすと収集がつかなくなり結局は争いごとに発展する。
という未来がわかっているから、みんな口に出さないんですよね。
日本のことわざで「和をもって貴しとなす」というやつだと思います。
使い方も漢字も合ってるかわからん笑
とにもかくにも日本人って“みんなで“という言葉と感覚が大好きなんです。
だから損をする人が出ないように初めから設計しようとするんですね。
誰かだけが不利益を被らないように。って真剣に考えているんです。
僕なんかは親だしこどもが2人もいるから、愛情を注ぐ時間に偏りが無いように。ってスゴイ気をつけますもん。
もちろん妻にもね。
でもこの誰もが損しないようにする設計って本当に自分以外の人のことを考えて設計しているのかな。と考えることが大切です。
ここから話が黒く聞こえてしまうかもしれません。
実は自分が損したく無い
誰もが損しないように設計すると自分も損をしないことになります。
つまりは頑張っても頑張らなくても損をしないのだから例え自分が何もしなくても利益を得られるように設計している。
とも言えるんだと思います。
話が黒くなりますがご容赦ください。。
家族で一つのケーキが目の前にあり、その日長男が誕生日だとしても平等を貫き通すならケーキは4等分。
小さい妹はケーキを残すかもしれないけれどそれでも4等分。(極端な話ですよ)
これって何となくだけど平等だけど平等じゃないように聞こえませんか?何となく長男が損をしているような気がしますよね。
でも妹からしたら最初に切り分けられたケーキがみんなと同じ大きさじゃなかったら損したと思うでしょう。
ここで言えることは平等を選択することが幸福度を均一に振り分けられる最高の手段では無いということです。
少し難しい話になってきましたね。
“平等という技“を使うには“タイミングと場所“を見極める必要があるということです。
つまり全てを平等にすることが一概に良いこととは言い切れないということになります。
ビジネスシーンに置き換えて
チームスポーツや会社に所属するのであれば感覚としてわかることだと思いますが、何から何まで平等なんかではない。
全てにおいて差がつけられ、区別され競争の中に身を置くことになる。
外の人間からは自分を相対的に評価して見られている。
この現実こそが平等であり仕組みとして平等を求めることは自分の保身のための言い訳にすぎないし、努力しないことの正当化です。(かなりキツイ言い方になってごめんね。)
ではなぜ、平等を求めてはいけないのか?について頑張って説明してみようと思います。
例えば、
野球のチームに所属していてチームメイトの中には打つことが得意なやつもいれば、投げることが得意なやつもいれば、守ることが得意なやつもいる。
このチームの監督の心情は「ザ・平等」。
全ての選手に対して平等に出場機会を与えることを方針としている。
さて、このチームは試合に出場することになった。
方針に沿って平等に選手の特性を無視して平等に出場の機会を与えた。
全てが得意な選手しかいないのであれば試合に勝つことができるのかもしれないが残念ながら世界にそんなチームは無い。
当然、苦手なポジションが回ってきたタイミングでミスをする。
チームは負け。
平等に機会を与えられたチームはそこで解散することになる。
適材適所に選手を配置していればチームは勝ち続け、チャンスの量自体が増えたかもしれないのに。
これをビジネスシーンに置き換えて考えてみましょう。
会社に所属していれば自ずと仕事のできる人財とあまり上手くいかない人財がいる。
もともと育ってきた環境が違うのだから当たり前ですね。
その現実こそが平等です。
話を先に進めましょう。
この会社の方針は全員平等でした。
仕事の機会も昇進のチャンスも平等に振り分けることにしてあります。
すると仕事の進め方も平等にしなければならない。
ここで問題です。
仕事の進め方を平等にする場合にはどのようにすればいいでしょうか。
答えは“1番仕事の遅い人に合わせる。“です。
足の速い人に足の遅い人が合わせることができないように仕事も同様です。
遅い方に速い人が合わせるしか無いのです。
そうすると平等に会社全員の仕事の速度が遅くなります。
仕事の遅い会社にサービスをお願いする酔狂な会社はありませんからこの会社の業績はみるみる落ちていき、社員の給料は上がることはなく退職する人財が後を経たなくなり、まもなく会社は潰れてしまいます。
これでは誰も救われません。
初めに会社に入社する時には良く聞こえるかもしれませんが、誰もが救われない。
そんなことになってしまうのです。
適材適所に人財を配置し、できる人間に大きな仕事を任せて大きな収益をあげてもらう。
難しい役割をこなせないのであれば大きな仕事をする人間のサポートに回る。
それで会社の収益や存在価値が上昇していけば仕事の遅れる人財にもちゃんと給料を払って生活を守っていける。
人には向き不向きはあるし、処理できる役割の量にも差がある。
それを外から平等を押し付けても幸福度は均一にはならない。
だからみんな平等じゃない世の中に生きているという事実こそが平等なのです。
平等は概念であり思想であり耳心地のいい言葉ではあるけれども、幸福度を均一にするための都合のいい道具では無いのです。
まとめ
平等という言葉の使い方を知らない大人がまだまだたくさん世の中にはいます。
学校などでは平等という言葉を良く聞くかもしれませんね。
でも良く見てみましょう。
周りに同じ人なんか1人もいないでしょう。
これから先も絶対に自分と同じ人なんかには出会わない。
だから君には平等という言葉を都合よく使って欲しくないと思っています。
平等という言葉をもし使いたくなったら
自分の努力不足なのかもしれない。。
本当はちょっとびびっているだけなのかもしれない。。
と冷静に自分のことを見てみるようにしてください。
世界が平等にならなくても幸せでいられることはできるからね。
それじゃいってらっしゃい‼️今日も素敵な1日を‼️🤗
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